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STORY20
20年前、ハウスで励ましあい支えられた日々
そしてかけがえのない現在(いま)がある
ハウス利用者
吉野 やよいさん・吉野 律子さん
吉野やよいさん
母と過ごしたハウスでの時間が
治療の支えに
初めてせたがやハウスを利用したのは、ちょうどハウスがオープンして間もない20年前、私が12歳の時でした。
自宅のある沖縄から遠くはなれた東京で、成育医療研究センターに長期入院していた時、帰る家が遠く外泊することが出来ない私の気持ちを汲んだ母がハウスに宿泊予約を取り、初めて外泊が叶いました。
宿泊当日、「ハウスではわが家のように過ごしてね。」ボランティアをしていた方が、優しく話しかけてくれて、ホッとしたことを覚えています。
母は、ハウスにあるキッチンで料理を作り、私は同じ階にあるプレイルームを探検しながら出来上がるのを待ち、二人で楽しく食事しました。キッチンに常設されていた食事中に会話が弾む中、
「ご自由にどうぞ」の食材はとても助かるんだよ!と、母は話していました。
「この食材を見ると、見えないところで病気と闘う私たちを応援してる人がいるって感じるね!」そんな会話をしました。
この時、私は母とともにハウスに宿泊できたことが大きな支えとなり、病院に戻った後もまた治療に専念することが出来ました。
あれから20年を経て母に
私はその後、小児がんを克服。
2020年11月、私が20年前に入院した、成育医療研究センターにて長男を出産しました。
20年経った今、私は母となりました。
20年先も変わらず、ハウスが病気と闘う子ども達と共に寄り添い、人の温かい想いが集まり支え合う、家族のようなわが家であり続けて欲しいと思います。
吉野律子さん
ハウスは励ましあい支えられ、
苦しい時を乗り越えた思い出の場所
娘は、小児がんの末期と宣告され国立小児病院(現 成育医療研究センター)に入院していました。沖縄へ帰れない二人三脚の日々、片時も離れられない厳しい状況でした。
せたがやハウスを知ったのは、その時です。病棟の看護師さんから教えてもらいました。
一時は、治療が落ち着き退院。沖縄に戻りましたが、再発。
成育医療研究センターが完成したと同時期、ハウスも完成したことを知り何度も利用しました。
思い出すのは、どんなに辛くても、ドアが開くと笑顔で迎えてくれるボランティアさん、面会後の苦しい気持ちを和らげてくれる
綺麗な部屋、同じように病気と闘うお子さんを持つ家族とキッチンがある場所で励まし合い支えられた日々です。
病院の敷地内にあるので、急なことに対応することが出来る安心感もありました。ハウスを支える、企業や個人の支援者にはいつも支えられていることを感謝しない日はありませんでした。今でも募金箱を見つけると、募金させていただいています。
娘は、闘病生活約6年を経て今は幸せに暮らしています。
そして、ハウスで出会ったお母さんたちとも子どもが大きくなった今でも繋がっています。
ハウスは、これからも沢山の家族の支えとなり、人を繋いでいく場所になると思います。
私にとってハウスは苦しい時を乗越えた場所であり楽しかった思い出です。